ラッセル『哲学入門』から退散します

なかなか読解が進まない『哲学入門』。

あまりに理解不能のために、

一時退散

することを決断しました。

あくまで「一時」としておきたいのですが…w再読は未定。

先日原文と思しきものを見つけて訳文との違いに愕然としたのが直接的きっかけです。

こういうと翻訳が悪いと考えているように思われてしまうかもしれませんが、そうでもないです。

一応退散の理由をまとめておきます。

第1章appearanceを現象とする親切

第一章に出てくる「現象」と「実在」が分かりにくい、と僕は記事に書きました。

そしてその時、日常生活で使う用法を逸脱した言葉には定義をしてもらわないと困ると書きました。

結論から言うと、ラッセルは通常「現象」と訳される英語

phenomenonを第1章では使ってません。

appearanceという、外観とでも言うべき単語を使っていました。

しかも、実は訳文も

「現象 appearance」と英文併記

になっていました(全く気づいていなかった…)。

ちなみに、哲学での「現象」といえば素人の僕からするとヘーゲル『精神現象学』とあとフッサール?かなあなんて感じなのですが、とりあえず『精神現象学』の原題はPhänomenologie des Geistesとなっていて、「現象」に相当するドイツ語は英語でいうphenomenonが相当するように思われます。

では、なぜ敢えて訳者はここで、

appearanceを「現象」と訳したのか?

恐らくは親切で、だと思います。

なぜなら、「現象」は哲学を学んでいる人たちにとっては馴染みの深い、常識的な用語だから(たぶん…)。

ところが、そうではない僕には、日常的な用語「外観」の方がずっとしっくり来ます。

訳者は30代前半でこの翻訳を書き上げており、とても野心的な試みをしたのだと思います。

その熱意ゆえに、

僕にはまだ早い。

そう結論しました。

あとがきによると、ラッセルは経験論者ではなく合理論的な部分もある、みたいなアツい議論をこの若き翻訳家は展開していて、そこもざっくりとしか英国経験論VS大陸号理論を理解していない僕には相当レベルの高い話で付いていけませんでした。

know=知る?

もう一点。

まさにいま現在取り組んでいた4章から5章へとかかる、

知識の議論

についても述べておきます。

ここで、ラッセルは観念論の主張

存在するものはすべてある意味で心的でなくてはならない

を検証するために、その根拠とされることが多いという

私たちは、自分の知らない何かがあるということを、知ることができない

という説が妥当かどうかに取り組んでいきます。

その中で、「知る」を2つに分類し始めるのですが…ここで引っかかりが。

僕の印象では、ここでの「知る」は動作動詞ではなく、状態動詞の「知っている」の方がしっくりいくように感じられたのです。

というのも、2分類が真理に関するものと、面識に関するもの、となっていて特に真理に関するものは

誤謬と対比される

とか

信念や確信に適用される

という説明がされているために、「知る」ではなくて「知っている」に思えてなりません。

そこで原文を参照すると、

know

という状態動詞が使われているのです。

では、「知る」を「知っている」に置き換えたら理解が進むかと言うと…そんなこともない(^-^;

そもそも、原文のknowにはcannnotがつけられている箇所もあるので、やっぱり状態動詞「知っている」ではなく、動作動詞「知る」として使われているらしいのです。

ここも、訳者が想定する最低限レベルをクリアしていたら、すんなりいくのかもしれません。が、今の僕には一筋縄ではいかない…

つまづきは2箇所に限られるか

このように、大事なところで理解不足があったことが判明しました。

ならば、その都度訂正して読み進めばいいのでしょうが…気持ちが折れちまったのです。

今取り組むべき対象ではない

かも、と。

ラッセル自体には興味があるのですが、この本に対しては、少なくとも現状ではしんどさが勝るように感じてしまいました。

もしかすると、他にもいくつもの読み違いを発生させているかもしれず…

それでも読みたい、と思わせるほどの収穫が、今の所全くないというのも気持ちが沸き立たない原因です。

むしろ、ラッセルがすっ飛ばした

存在について、素っ頓狂なことをぶちまけたライプニッツ

とかの方がずっと気になっちゃったりして(^-^;

というわけで、ラッセル『哲学入門』は本稿をもってして一旦中断します。