ラッセル『哲学入門』⑥第4章研究

第4章はタイトルが観念論となっており、ありがたいことに定義からスタートしてくれています。

3章を軽く流してしまったものの、まだまだ序盤の段階ですから落ち着いてラッセルの議論展開を追っていこうというところです。

第4章要約

観念論、それを本章では以下のように定義しておく。

存在するものはすべてある意味で心的でなくてはならない

ここで、問題となるのは第2章で存在を信じても良いと確認した

物的対象は心的なのか

だ。

観念論の根拠となるのは、物的対象が

私達に知られうるものであるため

に必要な条件の議論に基づく。

これに初めて取り組んだバークリの見解を紹介する。

一言で言うと、

存在することは知覚されること

と要約される。

物的対象により引き起こされる

センスデータは心の中

にある。また、「知られる」ということは、

心の中にある

ということである。

よって、

知られる=心の中にある

であって、

心の中にない=知られない

ということになる。

私の心の中にないのにも関わらず私が知ることのできるものは、

他の何かの心の中にある

に違いない。

しかしこの議論には

かなりの間違い

がある。

バークリは、直接に知られるものすべてに

観念

の名を与え、

物的対象も観念のみからなる

と言う。観念は誰かの心の中にあるものだ、と普通は考える。

そのためバークリの議論では

物的対象は観念+観念は心の中にある→物的対象は心の中にある

となる。

しかし、本当に心の中にあるといえるのは、物的対象そのものではなく、

物的対象についての思考

だ。つまり、心に抱かれるのは、あくまで物的対象の部分であってすべてではない。

このような勘違いの源となっているのは、観念が生じるときに考察すべき

2つのポイントの区別

がなされているかどうかだ。

つまり、

私達が意識するもの=センスデータ

私達がなしている意識そのもの=センスデータを生じさせるはたらき

の区別だ。バークリはどちらも「観念」とまとめて呼んでいるために間違いが生じた。

バークリが

木はただ観念だけからなる

というのは、正しくは

木は心のはたらきによってのみ捉えられる

である。

これは間違っていないが、その結論として、木は心の中にしかない、ということはできない。

では、バークリの議論以外に、

物質は心的だとする根拠

はあるだろうか?

この話は、物質が

私達に知られうる

ための条件に関する議論に端を発しているので、

知識に関する議論

に入っていこう。

次章へと続く。

第4章のポイントの前に

すごく面白いと思うのは、

観念論の代表としてバークリ

を持ってきているところです。

同じ英国人としてのよしみなのかもしれませんが、そもそもバークリって

経験論者

では?

観念論としてなら、大陸合理論の論者…それこそデカルトやライプニッツあたりを持ってくるのが妥当なのではと素人の僕は思いました。

一方で、ここで紹介されるバークリの見解は確かに観念論そのものであり、その度合たるやデカルトやライプニッツの比ではないようにすら見えました。

ここらへん、やはり世界史の文化史レベルの理解では太刀打ちできず、せめて翻訳で本人たちの著作を読まないことにはわからないですね。

僕はバークリを読んでみようとは全然思いませんがwスコラ哲学的な論理ゲームみたいですんごい難しい印象。

4章のポイント

バークリは「私一人しかいない」という世界観は否定しているものの、誰の心にも関連しない物質は存在しない、という立場として既に紹介されていました。

厄介なのは、そこで

神の心

を持ち出しているところです。

キリスト教聖職者にとって自明の存在である神は、特に信奉する神を持たない僕にとっては

いることもいないことも自明じゃない

ために扱いが難しい。

仮にいるとしたら、として議論を進めれば、そんなに間違っているとも言えないような気がします。

神というから胡散臭くなりますが、例えばアザトースって考えたなら現代でも普通に(普通ではないかw)想定される世界観です。

この世の全ての現象や物事は全てアザトースを起源とし、全ての「存在」とは彼の思考によって創造される。このことからこの世はアザトースの見ている夢であるともされる。つまりアザトースが眠りからさめたとき、この世は一瞬にして消滅する

アザトース|ピクシブ百科事典

この章でも、バークリの使った

根拠は否定

されますが、

結論(物質は心的)の否定

にまでは至りません。

続きを見ましょう。

余談ですが、ラブクラフトは観念論の議論からアザトースを創出したんですかね??百科事典一気読みしたとかいうエピソードがあったような気がしますので、「観念論」の項も参照したはず…なんて考えると面白い。